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最高裁判所第三小法廷 昭和63年(オ)757号 判決

上告人

古屋艶子

古屋淳

古屋美恵

右三名訴訟代理人弁護士

古屋倍雄

中村博一

藤森茂一

被上告人

旧商号大正海上火災保険株式会社

三井海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

松方康

右訴訟代理人弁護士

溝呂木商太郎

宮原守男

原田策司

田中清治

主文

原判決を破棄する。

被上告人の控訴を棄却する。

控訴費用及び上告費用は、被上告人の負担とする。

理由

上告代理人古屋倍雄の上告理由について

一原審が適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  熊田昌弘は、古屋功と同棲していた某女をめぐって古屋と対立していたところ、昭和五四年一〇月一〇日、甲府市内の道路上において、同人から逃れるため、同女を普通乗用自動車に乗せて発進しようとしていたが、同人は、運転席側のロックされたドアのノブをつかんで開けようとしたり、ドアを蹴るなどしながら、同車の発進を阻止しようとした。このため、熊田は、同車を徐々に発進走行させたが、古屋がなおもノブをつかみ、ウインドガラスをたたきながら「降りてこい。」などと言って横歩きで並進してついてきたので、同人を振り切って逃げるため、同人を路上に転倒させ負傷させることのあることを認識しながらあえてこれを認容し、同車を時速一五キロメートルから二〇キロメートル程度に急加速したところ、同人は路上に転倒して、頭蓋冠線状骨折等の傷害を負い、三日後に死亡した。

2  熊田は、本件加害車両につき、自己を記名被保険者として、被上告人との間で、自家用自動車保険契約を締結していたところ、右保険契約に適用される自家用自動車保険普通保険約款第一章賠償責任条項には、被保険者が損害賠償請求権者に対して負担する法律上の損害賠償責任の額について、被保険者と損害賠償請求権者との間で判決が確定したときは、損害賠償請求権者は、保険会社が被保険者に対しててん補責任を負う限度において、直接保険会社に対して所定の損害賠償額の支払を請求できる旨の条項(六条。以下「本件被害者請求条項」という。)及び保険会社は、保険契約者、記名被保険者又はこれらの者の法定代理人の故意によって生じた損害をてん補しない旨の条項(七条一項一号。以下「本件免責条項」という。)がある。

3  亡古屋の相続人である上告人らは、熊田を被告として本件交通事故による損害賠償を求める訴えを提起したところ、東京高等裁判所は、昭和五七年一〇月二七日、上告人らそれぞれにつき各二七二万四六一三円及びこれに対する昭和五五年五月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を命ずる判決を言い渡し、右判決は確定した。

二原審は、右事実関係の下において、本件被害者請求条項に基づき、被上告人に対し、右確定判決によって認容された損害賠償額と同額の金員の支払を求める上告人らの請求に関し、(一)本件免責条項にいう「故意」にはいわゆる未必の故意も含まれ、かつ、(二) 本件免責条項は、傷害の故意により被害者を死亡させた場合にも適用されると判断して、上告人らの請求を認容した一審判決を取り消し、上告人らの請求を棄却した。

三しかしながら、原審の右(二)の判断は肯認することができない。その理由は次のとおりである。

傷害の故意に基づく行為により予期しなかった死の結果を生じた場合には、加害者は、右行為と被害者の死亡との間に相当因果関係が認められる限り、その死亡に伴う全損害につき損害賠償責任を負担することになるが、このことから直ちに、傷害の故意に基づく行為により予期しなかった死の結果を生じた場合に、本件免責条項により免責の効果が発生するものと解するのは相当でない。けだし、ここで問題となるのは、加害者の負担すべき損害賠償責任の範囲ではなく、本件免責条項によって保険者が例外的に保険金の支払を免れる範囲がどのようなものとして合意されているのかという保険契約当事者の意思解釈の問題であるからである。そして、本件免責条項にいう「故意によって生じた損害」の解釈に当たっては、右条項が保険者の免責という例外的な場合を定めたものであることを考慮に入れつつ、予期しなかった死亡損害の賠償責任の負担という結果についても保険契約者、記名被保険者等(原因行為者)の「故意」を理由とする免責を及ぼすのが一般保険契約当事者の通常の意思であるといえるか、また、そのように解するのでなければ、本件免責条項が設けられた趣旨を没却することになるかという見地から、当事者の合理的意思を定めるべきものである。

以上の見地に立って考えると、傷害と死亡とでは、通常、その被害の重大性において質的な違いがあり、損害賠償責任の範囲に大きな差異があるから、傷害の故意しかなかったのに予期しなかった死の結果を生じた場合についてまで保険契約者、記名被保険者等が自ら招致した保険事故として免責の効果が及ぶことはない、とするのが一般保険契約当事者の通常の意思に沿うものというべきである。また、このように解しても、一般に損害保険契約において本件免責条項のような免責約款が定められる趣旨、すなわち、故意によって保険事故を招致した場合に被保険者に保険金請求権を認めるのは保険契約当事者間の信義則あるいは公序良俗に反するものである、という趣旨を没却することになるとはいえない。これを要するに、本件免責条項は、傷害の故意に基づく行為により被害者を死亡させたことによる損害賠償責任を被保険者が負担した場合については適用されないものと解するのが相当である。

そうすると、原判決には、本件免責条項の趣旨についての解釈を誤った結果、上告人らの請求を排斥した違法があることに帰するから、右の違法をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、前示事実関係によれば、上告人らの請求は認容すべきものであって、これと同旨に出た第一審判決は正当であり、被上告人の控訴は棄却すべきものである。

よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤庄市郎 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄)

上告代理人古屋倍雄の上告理由

一ないし三〈省略〉

四、原判決は、免責を正当化付ける理由として、刑法上の結果的加重犯の理論及び民事上の不法行為の理論を持ち出し、行為者に不法性がある限り、約款上の免責は当然であると認定しているが、刑法も民法もその違法行為若しくは不法行為に対し行為者自身の処罰又は責任範囲を規定したにすぎないものであり、それに対し本件保険約款は、行為者自身の責任論ではなく、保険契約上の保険者(保険会社)の責任の範囲を規定したものであって、対象も制度趣旨も全く異なる。従って、制度目的が違うので、専ら行為者側の責任の範囲のみから判断した原判決は極めて妥当性を欠く判断である。

むしろ、契約者の反社会的行為と保険の社会的効用及び経済的機能との比較衡量をして、保険約款の解釈運用がなされるべきである(同旨、最高裁判所昭和四四年四月二五日第二小法廷判決)。

この点原判決が行為者の反社会性と保険の効用、機能との比較衡量をせずに単に刑法理論と同一の文理解釈にとどまり、行為者の原因行為における傷害故意という反社会性の面のみしか考慮しなかったことが右判例の趣旨に違背しているものである。

仮りに、刑法理論においても傷害について行為者に未必の故意があっても、行為者に行為時に全く予期していなかった死亡という重大結果が発生した場合には刑法上は結果的加重犯としての傷害致死罪が成立するが、かかる結果的加重犯を理論的に分析すれば、傷害の故意と死亡という重大な結果の発生に対する過失との複合形態であるといわれている。

従って、右刑法理論からしても、死の結果部分については過失があったことになるので、少なくとも死亡による損害賠償の範囲においては合目的解釈により保険会社(被上告人)の有責性は認定されるべきである。

本件事案を検討するに、契約者が発進時において死亡まで至ることを予見していれば発進行為さえもしなかったと供述しており、死亡事故まで発生するだろうことを容易に予見出来た状況なのに予見しなかったという重大な過失があったものであって、約款解釈上も死亡の損害の範囲については少なくとも過失として有責扱いされるべきである。この点において原判決は約款解釈の法令違背がある。

五ないし九〈省略〉

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